宮崎 東明 漢詩集 その1

意解

恩というものは、その代償をもらう為に人に施すのではなく 自分は施すことだけを喜びとすべきであると思うし又、そうし なければならない、また徳というものは、売名の為ではなく 常に、表面に表すように仕向けて得るものではない、だから 常々謙譲の美徳を忘れてはならない、人は常に一歩譲る事が 大切である、そして誠実を伴わない心持での行為や、人と事を かまえて争うよなことは避けるべきである。

字解
恩(おん)= めぐみ・いつくしみ 
覓(もと)む=さがしもとめる・ことさらに欲しがる
徳(とく)=品性 
求(もと)む=ないものを無理してほしがる。要求
謙譲(けんじょう)=へりくだりゆずる、謙虚に同じ、己を空しうしてわだかまりのないこと
妄信(もうしん)=不誠実な心、でたらめな気持
争心(そうしん)=争いごとを起そうという気持
備考

この詩の構造は、平起こり七言絶句の形であって、下平声12侵の韻のうち、 陰・心の字が用いられている

作者略伝

宮崎 東明 明治22年(1889)3月河内国(大阪)四条畷野崎の素封家に 生まれ、幼にして小楠公の忠孝両全の感化をうく。
四条畷小学校・四条畷中学校を経て、京都府立医学専門学校を卒業、 胃腸科を専攻、大正6年(1917)大阪福島区玉川町にて、医院開業、爾来 50余年医業の傍ら詩を藤沢 黄波(社、関西吟詩文化協会初代会長) 書を臼田 岳州 画を中国人方メイ、篆刻を高畑 翆石、吟詩を眞子西洲 社団法人関西吟詩文化協会初代宗師範に学び、各々その奥義を極められ その全てを高尚な趣味として、自らの修養の資とされ、その居を五楽庵と 称された。
本名を喜太郎といゝ、東明と号さる。
昭和8年秋自ら発起人となり吟詩会の創設を計り、翌年1月関西吟詩同好会 社団法人 関西文化協会の前身を創立さる。 昭和23年 社団法人 関西文化協会 2代目会長となり、戦後吟界の復興に 尽力され、昭和44年9月18日(1969)82才を以て病歿さる。